24卒の学生に「ガクチカ」を求める企業に対して僕が思うこと
「一年必死に浪人して大学に入ったと思ったらさ、入学と同時にコロナで何もできなくなって、やっと日常が戻ってきたと思ったら就活が始まってさ。『何もするな』って散々言われ続けてきたのに、就職活動の面接で『学生時代に一番力を入れたことはなんですか』って聞かれても、そんなもんなんも無いよ。だって『何もするな』ってメッセージを俺ら24卒の学部生は4年間言われ続けてきたんだから。」
これは一浪した同級生と飲んだ時に、彼が話した言葉の一部だ。
僕は2019年に大学生になった代だから、少なくとも最初の一年間はコロナとは無縁の学生生活を送った。
でも彼は、一年浪人したせいで大学生活がコロナと共に始まった世代だ。
「外に出るな」、「人と会うな」、「我慢しろ」。
彼らの世代はこの手のメッセージを大学1年生の頃から受け取ってきている。そしてそれを忠実に実行してきた人もたくさんいると思う。
時にはコロナ禍で居酒屋で飲み会をしていた大学生や、外でBBQをしていた若い集団が槍玉に挙げられて、ワイドショーやネットニュースで叩かれることもあった。
外に出ず、なるべく他の人と会わず、我慢をし続けることが社会のためになり、正しいことだったからだ。
逆に外に出て、たくさんの人に会って、我慢をしていない人は悪とみなされていたと思う。
-------------------------------------------------------------
少し僕の話をさせて欲しい。
僕は2020年の夏から2021年の夏までの一年間、大学非公認の軟式野球サークルの代表を務めた。
僕が代表を務めた期間にサークルに所属していた人数は57人だったが、緊急事態宣言中は野球ができない期間が続き、やっと活動を再開できると思った時でも参加者が10人も集まらないこともあった。
それでも、サークル存亡の危機を乗り越えるために先輩や同期に色々と相談し、仕事を分担して運営をした結果、徐々に活動の参加率が上がっていった。
その一方で、あくまで主観的な意見だが、長引く制限によって僕の一つ下の代(コロナと共に大学生活がスタートした世代)と僕たち以上の世代の関係性があまり深まっていないという問題もあった。
そこで、僕の生活する自治体で緊急事態宣言が解除された後に、中規模程度の飲み会を開くことを計画し、その幹事を後輩に依頼した。
彼の幹事の経験が、今後のサークルの存続に生きればいいなという考えもあった。
そしてサークル全体のグループラインで飲み会を開催することを告知したところ、当然だが、反対の声が上がった。
飲み会は中止になり、僕とサークルの副代表がグループラインで謝罪をすることでこの問題は収まった。
当時、飲み会を企画した僕たちに反対の声をあげた人たちは、その時の社会状況に基づけば当然正しい反応だと思うし、別に僕は今は気にしていない。
むしろ僕が代表を務めるサークルが暴走しないように、歯止めをかけてくれたとも思っている。
この一件は無事収まった。
収まったのだが、僕はいまだに納得していない。
確かにコロナ禍であれだけ批判されていた飲み会を開催するという判断は安直で思慮に欠けるものだったかもしれない。
一方で、自治体や政府からは密な状態を避けるように”お願い”はされていたが、僕たちの経済活動の自由を制限する法的な根拠は何一つなかったはずだ。
さらに悪いことに、僕が在籍する大学は国立大学でありながら何の法的根拠にも基づかないで学生同士での懇親会を「禁止する」という暴挙に出た。
僕は法学部生だが、「憲法がどうで〜、」とかそういう小難しい話はしない。
ただ、日本という国で、ある個人が経済活動の自由に基づいて行動する時、それが法律で禁止されていないなら、その行為に対して外野が「正しい」とか「正しくない」とか言うべきじゃないと僕は思う。
今回の飲み会の件だってそうだ。法的に僕らの自由を制限できないなら、悪いのは僕らではなくて、経済活動の自由を制限できない立法に問題があるのだ。
マスクを着けるか否かもこれに相当すると思う。国民にマスクを着けさせたいなら”お願いする”のではなくて、法律で強制すれば良かっただけで、マスク警察とか本当にしょうもないなと思う。(最も、日本の憲法でそれができるかは甚だ疑問だが)
-------------------------------------------------------------
話を戻そう。
たくさんの制限や障壁に苦しんだ24卒予定の彼らも就職活動をする時期になる。
そして面接で面接で尋ねられる。
「あなたが学生時代に最も頑張ったことはなんですか」と。
いわゆるガクチカだ。就職活動の定番の質問だと思う。
企業側はこれまでもこの質問をしてきたし、これからもこの質問をしていくのだと思う。
でも、それって企業側の欺瞞・怠慢なんじゃないかと僕は思う。
パンデミック下では社会全体が、自分たちの社会に対して「何もしないこと」を求めていたのに、就職活動の時期になったら急に手のひらを返して、今まで通り「何かをしてきた」学生を企業は求める。
もちろん、企業としてはパンデミック下の制限ばかりの環境の中で「何もしてこなかった学生」より「何かをしてきた学生」の方が欲しいという気持ちは当然理解できる。いわゆる主体的に活動できる学生だからだ。
逆に、社会に求められた通り「何もしなかった学生」は、コロナが明けた後に社会に一杯食わされたことになる。
(本当に何もしてこなかった学生はいないと思うが)
社会が大きく変化した時、社会が共通認識として持つ「正しいこと」と「悪いこと」の定義がひっくり帰った瞬間を僕たちコロナ直撃世代の大学生は目の当たりにしてきた。
素直な学生たちから新しい「正しさ」に順応し、新しい基準に順応できない若者は「社会に悪い影響を与える愚か者」として批判された。
それが、社会が徐々に以前の状態に戻ってくると、正しい行動をしていたはずの素直な学生が就職活動の面接を通じて、さも無価値かのような扱いを受ける。まさに正直者が馬鹿を見る状況だ。
でも、学生がその状況に文句を言ったって何も変わらない。結局、企業は困難な社会状況でも打開策を見つけて自分で行動できる人材が欲しいからだろう。
そうだとするなら、僕たち学生はどうしたらいいのか。
僕は二つの解決策があると思う。
一つ目は、〈より長く学生でいること〉だ。これは僕が実際にやっているものだ。
大学院に行ってもいいし、休学してもいいし、留学したっていい。
1・2年長くモラトリアムを享受することで、数年前には見えなかったものが見えるようになったり、わからなかったものが理解できるようになったりする。
モラトリアム人間として社会と関わることで、ゆっくりと、しかし確実に社会に対する解像度を上げていくことができると思う。
公立大学の学生に比べて、私立大学の学生が在籍期間を長くすることは難しいとは思うが、あくまでも社会をより深く理解するための一つの方法として提案したい。
既に内定を持っている学生もいると思うが、内定を辞退して院進してもいいと思う。
二つ目は、〈自分だけの価値観を持つこと〉だ。
言うは易し、行うは難しの典型的な言葉だが、別に〈他人の話は半分に聞く〉でもいいと思う。
とにかく僕たち最近の学生は、良くも悪くも社会の価値観とか規範に振り回されて、みんな「自分だけの大学生活」を送れてないのかもしれない。
いろんな人の意見を聞くのもいいけど、あえて大人の話を聞かない時期を設けてみるのも一つの手だと思う。
結局それが最終的に周囲から主体的な学生だと評価されることにつながると思うから。
僕らは他の世代と比べて比較的苦労が多い世代かもしれないけど、文句を100回言ったところで、僕らの環境は1ミリも変わらない。
自己責任論は好きじゃないんだけど、社会は僕らのお母さんではないことをしっかり認識した上で、自分なりに考えて行動し、学生生活を最大限に楽しむことが僕らにできることなんじゃないかと思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここまで僕の半自慰的なブログを読んでくれてありがとうございます。
僕もこれから就活を頑張ります。
ではまた。